Nevermind.


2005年1月28日(金)−29日(土)

夜、先週ぐらいまで資料つくりを手伝ってた委員会。
資料については説明した人がうまかったからか、あまり突っ込まれず。ほっ。
あと、激しい議論がなされることが予想されていた論点については、
あっさりと話がまとまって拍子抜け。思ったよりも和やかな委員会になったのは、
委員長の人徳のおかげか。

9時過ぎに終わった後、職場に戻る前にちょっと投げてくかということで、
神伊豆民さんと新橋Sword Tailへ。ここは、前たまに行っていたBar Tameikeが
移転したところで、新装オープンしてから初めて行った。当然のごとく、
Nメン夫妻はすでに投げてた。さすが。

で、ちょっとのつもりが、神伊豆民さん、Nメン夫妻もいなくなった4時半まで
やってしまった。やりすぎ。ダーツ自体は割と調子よくて、クリケットで
2.98出た。自己最高かも。

それから職場に帰ってちょっと寝て、8時半ごろから12時半頃まで仕事。
また家帰らなかった・・・。


2005年1月26日(水)

さすがに家に帰った。


2005年1月25日(火)

研究会では、アメリカから帰って来てばかりの先生の発表だったので、
頻繁に英単語が出てきて聞くのが大変だった。話自体もマニアックだし。

疲れたのでさすがに今日は早く帰ろうと思い、21時半頃職場を出たら
(そんなに早くないか)、友達から電話が。いきなり、「ラクーア集合!」
かなり酔ってるようだ。すでに池袋に着いてたけど、俺も嫌いじゃないので
丸の内線で後楽園へ。友達と、その友達の3人で
ラクーアへ。2人の愚痴を
聞く。金をもらってるけど、その分いやなことをしなきゃいけないってのも
どうかなあ、と思いながら飲んでました。

そして、風呂→烏来で足ツボマッサージ→リクライニング
シートで寝る→朝起きてもう1回風呂入る、という前にもやったようなパターン。

2日連続家に帰らず。


2005年1月24日(月)

新しく始まった仕事で、若手研究者の人で集まってもらい打ち合わせをした。
かなりマニアックな話で頭がクラクラしたけど、それよりも、自分の
「仕切り下手さ」がイヤになってしまった。つーか、本来仕切るべき立場
じゃないのに成り行き上そうなってしまって中途半端になった、という面は
ある。とはいえ、仕切り上手って人もあんまり見たことない。仕切り好きは
たくさん見かけるけど。

夜は次の日の研究会の準備でかなり遅くなり、結局カプセルホテルにお泊り。
ある程度の睡眠時間は確保できるけど熟睡できず、疲れがたまる。


2005年1月21日(金)

昨日の調査、分かったところまでをまとめた資料と経過報告を、
Kさんがクライアントにメールで送った。来週何言われるか不安だ・・・。
ただでさえ来週忙しいのに・・・。

夜はシンクタンクで働いている人々の飲み会。院の時の1つ上の先輩
(今D3の人)も来ていた。その人とは初めてしゃべったけど、なかなか
気さくな人で、カラオケで「Metallicaの"Battery"歌ってください」って
言ったら歌ってくれた。しかも上手くてビックリ。

どこの業界もそうだと思うけど、シンクタンク業界も人のつながりが
重要なので、こうした会での出会いは貴重。主催者のOさん、ありがとう
ございました。

シンクタンクと言えば、俺の職場の違う部署の偉い人が、昔酔って
シンクタンカーたるものは・・・」と語っていたらしい。それを聞いた
我々は「なんだよシンクタンカーって」と言いつつも、ちょっと面白かったので
職場で使ってる。

で、この日Kさんへのメールで「シンクタンカー」って書こうとしたら、
「辛苦タンカー」になった。まさに今の状況をIMEが汲み取ったかの
ような変換。素晴らしい。
ついでだから後半も代えて「辛苦担架」にしてみた。こうならんように
気をつけないと・・・。「真紅担架」これは洒落にならん・・。

ええいついでにもう一ネタ。俺の直接の上司が前ミーティングで、
「今はシンクタンク冬の陣だから・・・」と言ってた。
多分「シンクタンク冬の時代」と言いたかったんだろうけど、冬の陣って!
夏の陣もあるのか?冬の陣は講和する振りして外堀埋めるのか?想像が膨らむ。

あと、俺が考えたところでは、「夜の主席研究員」と言うのが自分でも
気に入っている(補足:我々の職場では主席研究員が一番ランクが高い)。
本人の名誉のため、誰のことかは書かない。とかいいつつ、本人には面と
向かって言ってるけどね。

以上、役に立たないシンクタンク話でした。


2005年1月20日(木)

この日は、23時過ぎまで職場で仕事をやり、家に帰ってからも4時近く
まで仕事。
というのも、来週ある委員会があって、その資料を今週中にある程度完成
させなければいけないからだ。

その委員会のメンバーは大御所から新進気鋭まで、錚々たる顔ぶれで、
予想される激しいバトル(非公開だからそうなる可能性大)の前の、
いわば露払い的に出す資料(って書くとメインで作ってるKさんが怒るかも
しれないけど、位置づけとしてはそんなところだと思う)だけど、とは
いえ強者を前にするだけに下手なものは出せない。

しかーし、結構いろいろ調べたけど満足行く結果得られず。これはやべーかも。
分からんものは分からん、と開き直ってみるテスト。


2005年1月16日(日)

またも師匠に教えを請いに行く。
やはり
うまやはいい、ということだけ書き残しとこ。


2005年1月15日(土)

大学時代の悪友、I井、K見と新宿で飲む。寒かったので鍋を食う。
バカ話も多かったけど、結構真面目な話もした気がする。俺らも
大人になったってことだな、って同じようなことちょっと前にも書いたな。

久々に音楽ネタ。
Chemical Brothersの新譜、「Push The Button」
買った。これはかなりいいんじゃないんでしょうか。さすがケミカル、
踊りたくなる。

あとはジャケ買いでKing Crimson,「In The Wake Of Poseidon」、買おうと
思って忘れてたCake,「Pressure Chief」も買う。
前者は「クリムゾン・キングの宮殿」っぽいけどまあいいか。
後者、俺はCake節に弱いってことを再確認。やっぱりトランペットいいねー。


2005年1月14日(金)

たまに居酒屋のカウンターに座ると、俺の少し上の年代(35歳ぐらい)から
いわゆる中年の男性が、女性(こちらは彼らの同世代もいれば、20台らしき
人もいる)を口説いてる光景を結構目撃する。男性陣は見るからに必死で痛々しい。
なぜそう感じしまうかと言うと、彼らの口説いている姿がそろいもそろって
同じだからだ。

彼らは大体、女性の方を向き、女性の座っている椅子の背もたれをつかんで
話している。この、椅子の背もたれをつかむ技を、俺は相撲に例えて
「上手を取る」と呼ぶことにした。男性が右側に座っていた場合、「左上手」と
いうことになる。相撲と同様、彼らは一度つかんだ上手をなかなか離さない。
それどころか、徐々にその上手は深くなっていく。

もちろん彼らは上手を取るだけでは満足しない。女性が隙を見せた瞬間に、
肩を抱く、という技を繰り出す。俺はまた相撲に例えて、「首投げ」
呼ぶことにした(ちょっと違うけど)。首投げは大技なだけに、それの後は
微妙な空気が流れ、男は一旦退却することになる。しかし、やがて再び上手を
取って徐々に近づいていく。

この日は幸いにも?座った席の両隣でそういった取り組みが行われていたので、
友達と2人で途中からは2組の動向をずっとウォッチすることにして、上に
書いたような話をしながら盛り上がっていた。

注目は、終電がなくなりそうな時間帯で男性がどう勝負に出るかだ。
しかし、左隣の方はどう話がついたのかよく分からないまま、割とあっさりと
店を出てしまった。一方の右隣の方はなかなか出ようとせず、そのうち女性の
「こんな時間になってるとは・・・」という声が聞こえてきた。どうやら
終電を逃し、男性の術中に嵌ってしまったようだ。嵌ってしまう方も悪いと
思うけど。そこから10分以上はうだうやってたけど、やっと店を出たので、
俺たちも店を出ることにした。


2005年1月13日(木)

1/7に書いた仕事がうっかり?取れてしまった。

仕事が1つ増えると、実際の作業分はもちろん、契約の書類作りだの関係
各位への連絡など、一気に仕事量が増える。それでいて今回のはそれほど
Profitableでもないし。去年の仕事からの連続性、かつ今後のことを考えて、
まさに「気合」で取ってしまったという感じ。

というわけで、2月後半から3月にかけてハマることはほぼけてーい。
やった!
早速この日から会社に泊まって資料作り。


2005年1月9日(日)

新年会第2弾。今度は大学院同期の飲み会。場所は新宿
コパン・コパン

こちらも23人と人数が多くて、アンドレとかピヤラットとか北原くんには
久々に会った気がする。アンドレはあちこちで「女紹介してよ〜」と言ってた
らしい。相変わらず調子いいヤツだ。

会では割と真面目な話ばかりしてたような気もする。同じオヤジ団の山田さんと
立ち話してたらどーよーさんに「何エロい話してるんだ」って言われたけど、
その時「ああ今日はそんな話してなかったなあ」って気づいたぐらい
(個別にはしてるけど)。
2次会でも、ETCの話をしたり北原くんから今書いてるvotingの論文についての
解説を聞いたりしてた。我々も確実に大人になってるってことですかね。

そうだ。いつも幹事をやってくれるはりぃ氏、みんなからイジられながら
不満も言わずにちゃんと幹事をやってくれる姿には頭が下がります。
どうもありがとう。
ただ、君の右手の薬指にキラッと光っていた指輪、俺的にはそれが今回一番
エロかったです。

というわけで、大学院がらみの新年会2連発終了。結構経済学の話をする
機会に恵まれ、楽しかったし刺激になりました。
俺も精進して、ちゃんと経済学やってる人たちの話についていけるぐらいでは
いたいと思う。


2005年1月8日(土)

この連休は新年会2連発!ということで、まずは
八田先生の家で行われた
新年会に行ってきた。
1年前は忘年会だったけど今年は新年会、しかもICUの学部1年生から
東大時代や阪大時代の弟子の助教授クラスまで(1番上は多分赤井伸郎先生 )、
さらに先生の奥様と息子さんお2人も含めて、全部で50人ぐらい!の会
だったと思う。

という大人数の中で、あまり先生とはお話できなかったけど、その代わり
いろいろな方にお話することができた。これだけ人数がいると、八田先生
以外でも案外繋がりがあるもんである。まず、院のミクロでTAをされていた
安藤さん(俺の名前をなんとなく覚えてくれてたそうで嬉しかった)は、
俺の大学時代の同級生が安藤さんの院での同期なのに加え、昔彼らの同期の
女性と会合で会ったことがあったりして、そういった話で盛り上がったし、
鈴木亘さんは日銀に行ったゼミの同期と論文を書いてるので、それをきっかけに
お話することができた。大学時代のつながりがこんなところでいきるとは。
当時は経済学勉強してなかったけど。

しっかし恐るべきは八田先生で、これだけの人数が1人ずつ自己紹介を
したんだけど、その後「彼はこういう人で・・・」というエピソードつきでの
紹介が入る。よくもまあみんなのことを覚えてくれてるなーと心底すごいと
思った。俺がいうのもなんだけど、教育者の鑑だ。

こんなに大規模なホームパーティは初めてだったけど、非常に楽しかったです。
八田先生や奥様、息子さんやお相手して下さった皆様にはこの場を借りて
御礼申し上げます。

というわけで楽しかったので、先生の家を辞した後の2次会にも顔を出す。
場所は八田先生とも行ったことのあるはじめのいっぽ

そこではGRIPSの岡本さんと東京都立大の村田さんにお相手していただいた。
酔って余計なことまで話してしまったかもしれないけど、まあいっか。
勉強になりました。

いろいろな人と知り合いになれた、大変有意義な1日でした。


2005年1月7日(金)

5日から仕事開始。やはり年度末は忙しくなりそうだ。連休も仕事
やらなきゃならないし。

12/24に書いた仕事の件でヒアリング。「1月〜3月までは忙しいでしょう?」と聞かれ、
「忙しいですけど大丈夫です」と、あまり根拠ないけど気合で答えといた。
もちろん、やるとなったらちゃんとやりますが。

さてと、新年会に行ってきますかな。


2005年1月4日(火)

今話題のドンキホーテに行ったけど、やはり店内が広くなってた。

年明け初歌いカラオケ。合コンでモテるための曲を伝授いただく。
それを使う時は来るかな?


2005年1月3日(月)

年末の朝日新聞や日経で見かけた
東京書芸館というところの広告、
「陶板額『幕末維新の志士達』」。

なんとそれは、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎、高杉晋作、坂本龍馬、
中岡慎太郎、勝海舟、大村益次郎、大隈重信、岩倉具視ら、幕末の有名人が
数多く写っている集合写真を陶板額にしたものという。お値段なんと!
126,000円!!!(一括払い)

その写真はこんな感じ

あまりにも胡散臭い(大体こんな有名人が一堂に会したことなってあったか?
薩長の藩士と幕臣の勝が一緒だし)ので、気になってググってみたら、
やはりこんなところがあった。

よくもまあすぐにインチキだって分かるようなものを売るよなあ。
ネタにしては金額でかすぎるぞ。怒りを通り越して笑っちゃう。
あと、かなり大きな広告を載せた朝日や日経に対しても。溜息。


2005年1月1日(土)

明けましておめでとうございます。
年越しはいかがお過ごしだったでしょうか。東京は雪が降って結構大変でしたね。
僕は、横山さんとその友達と共に、すっかりおなじみだと思うけど
SOKEHS ROCK
カウントダウンしてきました。SOKEHS ROCK BANDの弾く音楽に合わせて
カウントダウンして大盛り上がり。楽しかったー。

若手人気?俳優や人気?アイドルもいたけど、そんなのはどうでもいい。
彼らの音楽を聴きながら年明けできるとはなんたる幸せ。

2005年は近年稀にみる最高の幕開けで、今年はいい事あるかな。
今年の意気込みなどは、また後日書きます。



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